都心のど真ん中で爆泣きした過去

精神

昔、大学受験がうまくいかなさすぎて

都心のオフィス街で、爆泣きしていたことがあります。サムネイルの場所です。笑

当時母と一緒にいたのですが、

「なぜ自分はこんなに勉強ができないのか」

「ダメな子どもで申し訳ない」

…そんな話をしていたら涙が止まらなくなってしまい。

人目もはばからず泣いている人ってあまり見かけないと思うので、さぞかし周りの方々はビックリしたでしょう。笑

ましてやオフィス街ですし、カタカタと仕事をしている大人も多く。

そんな中で恥ずかしいと思う余裕もなく、ただただ子どものように泣きじゃくっていたんですよね。

そうしたらふと、

パソコンを開いていたメガネの男性が私の方を見て

「何があったか分からないですけど、生きてたらいいことありますよ」

…そう言ってくれて。

いや、どんだけいい人。

見ず知らずの私にこんな言葉をかけてくれたことに感動して、更に泣いてしまいましたね。

東京って、良くも悪くも人に干渉しないので

(東京生まれ東京育ちとしてそう思います)

余計に温かさを感じました。

この出来事は今でも忘れられないですし、その方には感謝しています。

こういうことをサッとできる大人って、心底かっこいいです。

重い荷物を持っているおばあちゃんがいたら手伝ったり

泣いている子どもがいたら声をかけたり

"困っている人がいたら、積極的に助ける"

これ、一見あたりまえと思えることですが

自分に余裕がないと難しいのではないかと思います。

余裕とは

金銭的、時間的、精神的、身体的

この4つが挙げられると個人的には考えます。

この中のどれか1つでも欠如していると

なんだか視野が狭くなってしまう気がします。

例えば、金銭的余裕がなければ、精神も疲弊する。足取りは重く、下を向いて歩く。自分のことしか考える余裕がない。

すると、困っている人がいても、見えない。

もしくは、見ようともしない。

このことからも分かるように、人に優しくするには、まずは自分が満たされていないと難しいのではないでしょうか。

だからこそ、

金銭的、時間的、精神的、身体的

これらの余裕を着実に満たす必要がある。

満たしている大人が増えれば、確実に社会は良くなると考えます。

まずは自身がそうでありたいですし、読者の皆さんにもそのようになっていただきたいので、発信に取り入れていきます。

私を救ってくれたメガネの男性のように

"困っている人がいたら、積極的に助ける"

そんな温かい大人でいたいなと思います。

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