どこの世界にもヒエラルキーは存在する〜平等という幻想〜

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「調子乗ってんじゃねーよ!!!!!!」

ただただ机に向かって座っていただけなのに。

通りすがり、わざとらしく足音を立てられ罵倒される。

真面目に通学し、勉強していた。積極的に発言して成績も優秀。いわゆる優等生だった。あの頃は。

あの頃、というのは小学生のときのお話です。もう何年も前の話。笑

でも、そのときの傷は深く刻まれている。

別にいまさら被害者ヅラするつもりはない。いじめのターゲットは、スクールカースト上位の女子が決めていて、日々変わっていった。それに伴い、私もいじめの加害者になったことがある。

怯えながら通学する毎日。しょーもないのは分かっている。分かってはいるけど朝のテレビで流れてくる星占いを見て一喜一憂していた。「今日は魚座、運勢いいからいじめられない。大丈夫」みたいな感じでね。まあ、運勢悪くても無理矢理こじつけて大丈夫ということにしていたんだけど。苦笑

いざ学校に行ってみて、その日のターゲットが私でなくても安心はできない。だって明日は我が身だから。

昨日まで隣で楽しく会話していた子が、今日いじめの対象になる。理由もなく。「かわいそうだな」と思いつつも、味方をしようものなら私もいじめられる。

そんな恐怖に耐えきれず、加害者側にまわってしまったことなんて幾度もある。なんて弱い人間なんでしょう。

小学校も前半までは楽しかったんだけどなぁ。高学年になるにつれて、派閥やらカーストやらが出てきたような気がする。

顔がかわいい、痩せている、おしゃれ(ませている)…

小学生と言えど女なので、カーストトップになるには容姿に関する項目は必須であった。女性にとって容姿が重要であることは、現実・歴史を見ればわかるだろう(容姿がすべてと言いたいわけではない)。

例えば、キャバクラやラウンジといった世界を見てもらいたい。好みの差はあるでしょうが、少なからずキャストは美意識が高い女性の集まりなわけで、男性はお金を払ってでも美人と話したいのです。

私は夜の業界の経験があるので、この辺りは痛いほど痛感している。もちろん容姿だけではないんだけど、容姿は大事。

※私はずば抜けて容姿が良いわけではありませんがNo. 1になりました。そのときの施策はこちらから。

お金持ちの隣には美女がいるというのも、あるあるの構図。美女を侍らすことは権力の象徴でもある。

さすがに小学生の段階でここまで頭はキレませんでしたが、こういった見た目が良ければ得をする現実を突きつけられたのはまあ良かったのかなと思います。「平等なんてねーわ」と思った。

ストレートパーマをかけたり、茶髪にしたり、ピアスを開けたり、109に行ったり、アイプチをしたり、そーゆー子がイケてる文化でしたね。しかし私は親の意向もあり真逆でした。自分で言うなよって感じですが、お嬢様キャラみたいな。それが癪に触って冒頭の「調子乗ってんじゃねーよ!!!!!!」になったのかもしれませんが、事実は知らん。まあ他にもシカト決め込まれたり、陰口言われたり、いろいろありましたね。

このように精神的に追い詰められたことはあれど、ドラマさながらトイレに閉じ込められてうんぬんかんぬん…みたいに身体的に追い込まれることはなかったので、その点で私はまだ良かったかもしれません。もっと辛いいじめに遭っていた方もいるでしょうから。

それでヒエラルキーの話なんですけど、これまで私は学校という狭い箱、特に女の世界の話をしていました。残酷な事実ですが、見た目主義社会であることが分かりました。ルッキズムってやつですね。何度も言いますが、それだけではない。でも美女は強い。女性が皆平等に扱われることはないのです。美女は得。だからこそ、女性はダイエットや美容をがんばる。

じゃあこれが社会という大きい箱になったらなんなのかということを考えます。日本は資本主義社会です。資本=お金です。お金主義社会です。つまりお金を持っている人が強い社会。ヒエラルキーの上に行けます。ここでももちろんそれだけではない、わけなんですが、でも強い。持っていればほとんどの問題を解決することができるんじゃなかろうか。

ここで、この事実を「そんなことない!」と言い放ってしまうのはあまりにも非現実である。というのも、日本が本質的に平等であったならそれは社会主義国ということになってしまう。

この世は紛れもない競争社会である。

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